ここ数日、朝から猛烈に暑いです。
日本の夏はこれからどうなってしまうのでしょうね?
ずっとエアコンの効いた室内で過ごすというのはどうなの?と思いつつ、本当に用事でもなければ出かけたくはない気温です。
先週の土曜日、実家から帰ってきました。
父の様子を見ていると後ろ髪を引かれる思いもあったのですけれど、ずっと実家にいるわけにもいきませんし、きりがない…と思い切りました。
夫がお疲れさまのランチをしようとお店を予約してくれていましたので、それに合わせて実家を出発。
いつもは玄関で『じゃあね👋』と別れる父が、初めてバス停まで見送ってくれました。
バスが到着するまで最後のおしゃべりをして、バスが動き出すと手を振ってくれて。
普段とは違う父の姿が、目に焼き付いています。
数日間、食事のことを考える必要もなく、家事もがんばらなくてよかった父。
何より話し相手のいる暮らし。
金曜日の夕食が終わった時、ポツリとこう言ったのですよね。
あぁ、おいしかった。
話をしながら食べたから、なおさらおいしかった。
って。
本音なのだろうと思います。
母がホームに入ってから、ずっとひとりで食卓に向かっていた父の姿を思い浮かべると、胸がつまりました。
ここ1年くらいで、急に老いが進んだような気もします。
もともと年齢以上に元気で体力も気力も充実していた父ですけれど、いろいろとおぼつかないことが出てきています。
たった数日間ですけれど、一緒に過ごしてみてショックを受けることもありました。
同じことを何度も確認しないと不安そうだったり、白内障の術後の目薬の種類と間隔を間違えそうになったり。
昔のことは鮮明に覚えていて、話もわかりやすいし生き生きとしているのに、新しい話題はちょっと怪しかったり。
父自身も、『大丈夫だから』と言いつつ不安があるのだと思います。
そして寂しさも。
そうした父の気持ちを考えたり、生活の様子を見たりすると、離れたところで暮らすことや頻繁には訪ねていけないことに罪悪感を覚えそうになります。
もっとできることがあるのではないかと、自分を鼓舞したくなります。
でも実際は、これ以上がんばると私自身が潰れてしまいそうな危うさも感じています。
親が高齢になることの辛さ、悩ましさを感じない日はありません。
私が両親と暮らしたのは高校卒業まで。
その頃の父は、土曜日もお休みではありませんでしたし、月に100時間以上も残業するのが当たり前のサラリーマンでした。
当時は父だけではなく、それが普通のサラリーマンの働き方だったのだと思います。
そういう働き方をすることが美徳であり、自信であり、家族を養う責任を果たすことでもあったのでしょう。
ただその代償なのでしょうか、父は驚くほど弟や私のことを知りません。
今回ずっと向き合っておしゃべりする中で、そうなのか!?と驚く顔をされたことはひとつやふたつではありませんでした。
一緒に暮らした時間が長くないせいか、お互いにとても気を遣います。
ついでに私は緊張もします。
実家で同じスペースで長く過ごせば過ごすほど、疲れがたまっていくのを感じていました。
バスに乗って、手を振る父が見えなくなった時、どこかホッとした私がいます。
父のことはとても心配…でもようやく自分の暮らしに戻れる。
そう思いました。
混んでいる電車で立ちっぱなしで待ち合わせ場所に着き、夫の『おかえり』という声を聞いた時、ガクッと力が抜けました。
おいしいランチを堪能して帰宅すると、ものすごい疲労感に襲われ、日曜日の昨日も引きずっていました。
今日はようやく立ち直りました…😄
父のことを考え始めると、頭がいっぱいになり、いろいろな考えが堂々巡りします。
ただふと思ったのは。
今の暮らし方を選んでいるのは、父自身なのよね~ということです。
実は父のホームも予約はしてあるのです(まだ順番は来ていませんけれど)。
自宅で生活するにしても、いろいろな人の手を借りる方法はいくつもあります。
それらすべてを却下しているのは父自身。
ホームに入って、少しでも自由が制限されるのはイヤ!
食事のことを考えるのが負担でも、お料理だけしてもらえるような方を家に入れるのはイヤ!
…ということは、不自由であっても寂しくてもひとりで自宅マンションで暮らしたいのですよね。
それを父が選んだのですよね。
ですから、私もくよくよと考えるのはやめようと思います。
それを選んだのは父自身!
迷ったとき、悩んだときはまずこのことを頭に置いてスタートしようと思います。
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⬇️ 久しぶりに疲れ果てるという感覚を味わいました。
まだもう1回手術があるのですよね~。
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