数日前まではとても寒かった東京、一昨日からは晴れ間も見えて暖かくなってきました。
一昨日の金曜日、スピカくんは初めて自転車で保育園に行きました。
フットワークの軽さが全然違うのでしょうね。
昨日、約2か月ぶりに義父を訪ねました。
その間、夫は何度か訪ねていっているのですけれど。
介護付き有料老人ホームで過ごすようになってから、6月で3年になります。
以前の義父は、私たちの訪問を心待ちにしていて、ラウンジで先に座って待ち構え、『よっ!』と手を上げて笑顔で迎えてくれるのがいつもの光景でした。
けれど昨日は、居室のベッドに腰かけて、テレビをぼんやりと眺めていました。
移動するのに歩行器が必要になって、居室から出るのも一苦労になっているのでしょう。
『こんにちは!』と声をかけると、ゆっくりとこちらを振り返りました。
『おぉ、2人で来てくれたんか~!』と、ちょっと笑顔を見せてくれましたけれど、明らかに、以前とは違う姿でした。
何となく元気のない様子に、心が痛みます。
『何事にもやる気が出ない。このままではいけないと思うんやけどな…』
そうぽつりとこぼす義父の言葉に、胸が締めつけられます。
気力を振り絞って、アクティビティのラジオ体操だけは続けているそうです。
少しでも身体を動かさないと、ダメになってしまう気がして…と。
数独も、気が進まないけれど《1題はやることにしている》と、自分をなんとか律している様子。
でも、本当は心から楽しんでいたはずの絵 - 長年続けてきた趣味で、いつも机に向かっていた絵は、『机に移動するのがもう億劫でね』と。
つい先日まで、ひ孫のスピカくんの写真を見ながら描いたり、どうしても動画からここを切り取りたい!と私に電話をかけてきてまで、楽しそうに一生懸命描いていたのですけれど。
『疲れちゃって、横になって時計を見ても、ちっとも時間が進まないんだ』
『寝付きもよくないし、夜中に起きて、睡眠剤を飲んでもすぐ目が覚めるんだよ』
話の内容は、ネガティブでよくない話ばかりです。
かつての義父は、大手商社の役員として活躍し、家族をぐいぐい引っ張ってくれた人。行動力があり、誰よりも前向きで、笑顔がまぶしい人でした。
義父の口から、弱音を聞いたことはありませんでした。
そんな義父が静かに放ったひと言…。
『長生きしても、何もよいことはないわ…』
その言葉が、心に深く刺さって離れません。
でもお義父さま、長生きなさったからこそ、孫のお嫁さんにも、ひ孫にも会えたのですよ。
家族が増えていくことを、誰よりも喜んでくださったのは、お義父さまではありませんか。
そう言いつつ、これでは義父の心には届かないだろうな…と考えてもいました。
私たちは、スピカくんの写真を2Lサイズで20枚印刷してアルバムにして持っていきました。
動画もGoogleフォトに入れて、パソコンですぐに見られるように設定してきました。
でも、どれも反応は薄くて…。
パソコン操作も、今までも増しておぼつかなくなってします。
あの義父が…と、信じられない気持ちになりました。
仕事が忙しくても、家庭内に何かが起こっても、『わはは~!』と笑い飛ばして乗り越えてきた義父が、『長生きしても…』と口にする姿には、ただただ寂しさと切なさがこみ上げます。
食事も『おいしくなくなった』とこぼします。
味覚が衰えてきたのか、あるいは物価の高騰で、施設の食材事情が変わってしまったのか…。理由ははっきりしません。
でも、おいしいと思えない食事を、日々ただ黙々と食べている義父を思うと、やりきれない思いになります。
正直なところ…。
思いのほか、ショックでした。
ホームを後にしてからも、気持ちが沈んだままで、なかなか切り替えることができません。
『何かしてあげたい』という気持ちと、『でも、自分にはこれ以上は無理かもしれない』という思いとが、心の中で何度もぶつかり合います。
『私が覚悟を決めて、家に来てもらい、一緒に過ごせば何か変わるのではないか』
そんな考えが頭をよぎる一方で、『私にはその覚悟が、本当にできるのだろうか』と問い返す自分もいます。
夫は言います。
『年齢による自然な変化だよ。これまでが、不相応に元気すぎたんだよ』と。
『自宅で看るのは、もう現実的ではない。今のホームで暮らすことが、本人にも家族にも最善なんだ』と。
理屈ではわかっています。
介護の現実も、家族の負担も、決して小さくないことも。
夫の言葉は現実的で、きっと間違っていない。
でも『いつも誰かに話しかけられる状態でいるほうが、義父は安心できるのでは?』
『このまま、気力がどんどん失われていくのを見ているだけでよいのだろうか?』
そんな迷いが、心の奥に居座って、離れてくれません。
年齢を重ねるとは、こういうことなのだろうか。
変わっていくことを受け入れるとは、どういうことなのだろう。
支える側にできることって、何なのだろう。
老いを受け入れるのは簡単ではありませんし、寄り添う側の私たちも、正解のない道を手探りで進んでいます。
正解はわかりません。
ただ、昨日の義父の姿も、言葉も、きっとこれからもずっと心に残り続けると思います。
『長生きしても何もよいことはない』と、言わせてしまった悔しさとともに、それでも、これからの時間を少しでも穏やかなものにできるように。
自分にできることを、小さなことでも、探し続けたい。
今は、そんなふうに思っています。
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