木漏れ日の散歩道

子育て卒業。日々の暮らしのあれこれと思うこと

小さな見直し

ほぼ終日雨でした☔️

今日は隅田川での《早慶レガッタ》の日でした。
知る人ぞ知るイベントです🛶

夫は7時前に高校OB会として応援に出かけました~。
私はタブレットでネット配信を横目で見ながら、ひとり時間を過ごしましたよ💕

 

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最近、自分の口癖に気づく場面がありました。
いえ、《最近》ではないな~。
多分かなり前から気づいていながら、気づかないふりをしていたのかもしれません。

それは、《痛い》《辛い》という言葉を、比較的すぐに発しているということです。

状況としては、身体的な不調や小さな困難に直面したとき、それをすぐに夫に伝えてしまう傾向があります。
夫はそれを静かに受け止め、『無理をしないで』とか『ゆっくり休んで』などと声をかけてくれる人です。

ただ、それが続くうちに、自分の在り方について考えるようになりました。
私は、必要以上に守られる立場に甘んじているのではないかしら?…と。
《痛い》《辛い》という言葉が、どの程度事実を反映していて、どの程度が単なる《共有》や《反応》なのか、整理する必要があると感じました。

その言葉を受け取る立場として考えてみると、決して楽しいこと、気分のよいことではないのですよね。

そこで、ある小さなルールを自分に課してみることにしました。

自分で対応できそうな不調や不快感については、まず自分の中で処理する。
それが難しい、あるいは助けが必要だと判断したときのみ、言葉にして外に出す。

…ということです。
これって、大人ならきっと誰もが実行していることなのではないかと、恥ずかしくなります。
長年優しくされて、甘やかしてもらってきたことで、それが当たり前と感じ、そういう態度を取ってきたことが情けないです。

ネガティブな表現を控えることで、夫婦関係にどのような変化が生まれるのかは、まだわかりません。
けれど、少なくとも《守られることが前提》という関係性から、一歩引いてみることで、バランスの取り方が変わってくる可能性はあると考えています。
自分にももう少し自信が持てるようになるかも。

還暦を過ぎて、こうした小さな見直しをするのは遅いかもしれません。
『何を今さら!』と思う気持ちは、私自身の中にもあります。

それでも、自分自身との関係性、そして夫婦としての在り方を少しずつでも見直していくことに、意味はあると感じています。

これは、今の自分に対しての覚え書きのようなもの。
小さな決意表明にしたいと思います。

 

 

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