木漏れ日の散歩道

子育て卒業。日々の暮らしのあれこれと思うこと

怒りのメール

母は今、介護付き有料老人ホームに入居しています。
本人の希望で今年の6月に入居しました。
本来入居を希望していたホームは空き待ちの状態でしたけれど、自宅で過ごすことが負担になったということで、同じ系列のホームに空きが出た時点で入居した形です。

希望しているホームに空きが出るまでの《つなぎ》のつもりでした。
でも今、私たちは母を自宅に戻す方向で準備を進めています。

komorebi-promenade.com

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村 

 

驚いた父からのメール

先週土曜日の朝6時過ぎ、父からメールが届きました。

今後の予定はどうなっているのか。
〇〇の話までは聞いたが後は相談もなしだ。
私はまだ認知症ではないつもりだ。

自分の家族のこと、自身の思いどおりに行動したい。
乞う、検討!

母にも弟にも同じ内容で送られています。
私の正直な感想は『どういうこと?』でした。
多分、母も弟も同じだったと思います。

…というのも、母を自宅に戻すことをはっきりと決めたのはその1週間前の土曜日。
その日、ホーム入居前にお世話になっていたケアマネさんに連絡を取ったところ、もう定員いっぱいで、母が自宅に戻った際には新しいケアマネさんを探さなくてはいけないことがわかりました。

すぐに地域包括支援センターに連絡して、ケアマネさんを探していただくように依頼。
同時に、現在のホーム入居の際にお世話になった相談員さんにも連絡を取りました。
でも週末ということで、どちらも実際に動けるのは週明けになるとのこと。
それは父も一緒に聞いていましたので、知っています。

そして翌週、水曜日には新しいケアマネさんも決まり、相談員さんとホーム長さんとの連携も取れ、新しい相談員さんの連絡先もいただきました。
とても早い動きだとありがたく思っていたのです。

しかも、保証人の弟のところには、ホーム長さんからもケアマネさんからもお電話をいただいて、詳細を伝えることもできています。
ケアマネさんと母との顔合わせ面談の日も決まりました。

ここまでの経緯については、父にも伝えていました。
弟と私はさらに詳細に詰めてはいましたけれど、父に《相談もなし》と言われるほどのことはしていません。

むしろ、父に伝えてたった2日で《今後の予定はどうなっているのか》《相談もなし》と問い詰められることに驚きました。
おそらくそのことばかり考えていたであろう父にとっては、長い時間だったのかもしれませんけれど。

大切だと思う言葉選び

もうひとつ感じたのは《父は相当頭に来ているな》ということでした。
父の普段の言動からすると、この表現の仕方はかなりのお怒りモード。

もともと父は言葉選びの下手なところがあり、家族に対して当たりが強いところもあります。
『そんな言い方をしなくても…』と思うこともしばしば。

《乞う、検討!》と言われても、これ以上どうしろと言うのか?

弟も私もすぐに返信、言葉を尽くして説明しました。
父だけが知らないことは何もないということを。

やっとのんびりできる週末だと思っていた朝でしたので、気が滅入るというか落ち込むというか…。
あぁ父は、これまで弟や私と一緒に進めてきた今後の暮らしについてのあれこれが、心底納得できてはいないのだな…と思ったメールでした。
そして、父は今でも自分主導で動きたいのだということも、はっきりわかりました。
弟や私にとって《父親》であり続けたいことも。

高齢になるにつれて、父はどんどんせっかちになってきています。
もともとの性格もあるのでしょうけれど。
そして考え方や視野が狭くなって、自己中心的になっているように思います。

ホーム退居に関しても、母を連れ帰ればよいというだけではなく、その後ろでどれだけの手続きや動きがあるのかということもよく見えていないみたい。

仕方のないところもあるのでしょうね。
いずれ私も行く道なのかもしれません。

それでも。
もう少し柔らかい言葉を選んでほしいな~と思います。
相手の心を傷つけ、冷やしてしまうような言葉を避けてくれれば、こちらの受け取り方も違ってくるのに。

気持ちが弱いのか

父からのこんなメールで気が滅入ったり落ち込んだりするのは、私の気持ちが弱すぎるのでしょうか?
私の周囲は言葉の優しい人が多いこともあり、強い口調には慣れていません。
父とは高校卒業まで一緒に暮らしていたとはいえ、当時はそれほど多くの話をしたわけではなく、深刻な話題もほとんどなかったのですよね。

父が高齢になり、入院・手術をしたり、今後どのように暮らしていくかというようなことを話したりするようになって初めて、父の強い口調や怒っているように聞こえる言葉選びが気になるようになったのだと思います。

私自身がまだ不安症と付き合いながら生活しているということも、無関係ではないのかな。

komorebi-promenade.com

こういう文面のメールを読むと、ドキドキして怖くなってしまいます。
かつては一番近いところにいて、よくわかり合っているつもりの両親。
でも実は心の距離は意外と近くないのかもしれないと思ったりします。

私の心が痛むメールは、これでおしまいではありませんでした。

 

 

 

 

いつもありがとうございます
皆さまの応援が更新の励みとなります
⬇️ よくわかり合っているつもりの両親…でも実は何もわかっていないのかも。
 ポチッとクリックをお願いします。

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村 

木漏れ日の散歩道 - にほんブログ村