木漏れ日の散歩道

子育て卒業。日々の暮らしのあれこれと思うこと

人生の終わりはこんなものかと

母のホーム退居について、いろいろと相談中です。
もう一度引っ越しをするようなものですから、するべきことはたくさん。
新しいケアマネさんとの契約、ホーム解約の手続き、医療引継書の受け取りも必要となります。

自宅に戻ってスムーズに生活できるよう、サポート体制を整える必要もあります。

 

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《ひとりぼっち》って…

父から《怒りのメール》が届いた日、驚いて慌てて返信しました。
程なくして弟も返信しています。
2人とも言葉を尽くして説明しました。

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その後私に対して直接返信はなかったのですけれど、弟のところに届いたメールを転送してくれました。
父は家族の気分を害したことは反省していました。
自分が勘違いしていたことがわかったのだと思います。

でも…。
こんなことも言ってきたそうです。

約100日の一人ぼっち生活で色々考えさせられた。
人生の終わりはこんなものかと。

これは、結構ショックでした。
確かに父はひとり暮らしをしていたかもしれませんけれど、弟や私は《ひとりぼっち》と感じないように、しょっちゅう連絡をしていたのですね。
その時には、お料理が少し上手になったことなどを楽しそうに話していて、はつらつとしているように感じていました。

さらに弟はこまめに顔を出してくれていましたし、私も父の白内障手術に伴ってということではあっても、泊まりがけで一緒に時間を過ごしています。

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単なる言葉の選び方の問題かもしれません。
でも《一人ぼっち》と言われてしまうと、何だか罪悪感を覚えます。

6月からの3か月ほど、私たちはどうすればよかったの?と。

《人生の終わりはこんなものかと》…って

これはどういうつもりで、誰に向けた言葉だったのかなぁ。

もし子どもたちに向けたものだとしたら、大切にされていないと思っている…ということですよね。
ひとりぼっちで放っておかれていると感じているのだろうなぁと、受け取ってしまいます。

でも本当はどうなのかしら?

年齢を重ねるごとにいろいろなところが衰えてくる自分に、もどかしさを感じているのかもしれません。
判断力も行動力も若い頃のようには働かなくて、子どもたちに頼らざるを得ないことに情けなさを感じているのかもしれません。

父は幼い頃に母親を亡くし、家族の愛にはあまり恵まれなかったと聞いています。
父親も20代の初めに亡くなって、何もかも自分で切り開いてきた人生だったようです。
ですから、必死で働いて家族を養い、子どもたちにも満足な教育を受けさせ、十分な老後資金を用意して…という生き方に誇りを持っているのだと思います。

話の端々から《がんばってきた人生》に対する思いがうかがえます。
ですから、仕事からも引退し、子どもたちも大人になり(…って、50代と60代😅)、気力や体力の衰えを自覚するようになって、寂しくなっているのかもしれません。

あれこれ考えて、計画を立てようとするも迷走してしまうことも増えました。
焦ったり、もどかしく感じたりする気持ちに頭と身体がついていっていない印象もあります。

そういうことから来る言葉だとしたら、きっと誰もが感じることなのでしょう。
誰かに伝えるか、自分の心に留めておくかの違いだけで。
両親の抱えるさまざまな気持ちは、残念ながら今の私が実感することはできません。
想像することはできるけれど、その年齢になってみないとわからないことはたくさんあります。

たまたま今回お怒りモードでメールを送ってしまい、その流れで私たちに伝えてしまっただけなのかなぁ。
子どもたちに向けたのではなくて、自分に向けての言葉であってほしいです。

 

 

 

 

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