木漏れ日の散歩道

子育て卒業。日々の暮らしのあれこれと思うこと

あの日から29年の祈りの日

今日は1月17日。
寒い朝でした。
29年前のあの日もとても寒かったです。

何年経とうが、大切な人を亡くされた方たちの悲しみや苦しみ、後悔の気持ちが消えることはないのだろうと思います。

 

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1995年1月17日の朝。
いつものように起きて、まずテレビのニュースをつけてキッチンに立っていました。

しばらくして聞こえてきたのが阪神淡路大震災の第一報。
《関西で大きな地震があった模様》ということだけです。
最初のうちは、《大きな被害の情報は入ってきていません》という報道が続いていたと思います。
当時はインターネットやSNSなどありませんから、緊急時の情報源はテレビかラジオだけです。
『大変な地震だったようだけれど、あまり被害がなくてよかった…』と安心しかけたのも束の間、次々に被害状況が伝えられ始めました。

画面に映る映像でも、高く立ち上る黒煙があちこちに見られるようになり、高速道路や建物の倒壊も報じられて…身体が震えたのを覚えています。

遠く離れた関東で、その情報を知った日。
どんどん大きくなる被害状況を伝える画面を呆然と見ていました。
当時、大きく揺れた近隣の県に住んでいた両親にすぐ電話をかけるも、全くつながらなかった時の不安、そのときの心臓の音も思い出せます。
つながるまで何度でも何度でもかけたかった気持ちも。

多くの人が一度に電話を使ったことによる障害でした。
本当は、何度も繰り返しかけたかった。
でも『今はかけるべきではない』と自分に言い聞かせて。
テレビから流れる情報で、おそらく無事でいるであろうことは判断できました。
私よりもっと切迫した状況の方も多いだろう、電話は控えるべきだとわかっていても、やはり気になって気になって仕方なかったあの時の気持ちは、何とも形容しがたいものでした。

鳴らない電話を見つめて過ごす時間も長かったです。
夜になってようやく両親の無事を確認できて安堵したのも、昨日のことのようです。

幼かった息子たちとその日をどう過ごしたのか、それは思い出せないのですけれど。
ただ、とめどなく涙があふれてどうしようもなかったことは、はっきりと覚えています。
そんな私の姿に夫が驚いて、言葉を失っていました。

私が生まれた神戸の街は大変なことになりました。
赤ちゃんの頃に過ごしていた場所も、大きな被害があったそうです。
関西方面に親戚や知人も多かったので、数日間は心配ばかりして過ごしたものです。

ちょうどその頃、我が家は転居を控えていました。
息子たちが幼かったため、母が手伝いに来てくれることになっていたのですけれど、新幹線が不通です。
飛行機で…ということもできないわけではありませんでした。
でも本来なら受験生が多く動く時期です。
ご家族が被災されたりして、どうしても移動したい方も多いでしょう。
各交通機関からも、緊急の方の移動を優先させてほしいというお願いが出されていたように思います。
もちろん、《カモミール家の引っ越しのお手伝いは緊急じゃないわね》ということに。
大学受験などにも大きな影響があって、大混乱でした。

あの震災では、建物の倒壊で亡くなられた方が多かったのですね。
下宿先のアパートが倒壊して…という大学生も多く、成人式を終えたばかりの若い人たちも…。
報道を聞くのも辛い日々でした。
どれほど無念だったことかと、今でも胸が痛みます。

今朝もその時刻に手を合わせて祈りました。
あの日から29年。
忘れられない日です。

今年は同じ1月に能登半島地震も起きてしまいました。
手を合わせつつ、北陸の被災地にも思いを馳せて、無力な自分が悔しいと思いました。
でも今は、自分にできることをしっかりと考えていくしかないのですよね。

 

 

 

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